何某の日進月歩

心に移りゆく由無し事をそこはかとなく書きつくっています

一定年度経つと捨てられないよねって話

お題「捨てられないもの」

 

現在わたしは一人暮らしをしているが、引っ越す際にかなりの物を処分した。

服も処分したし、大学のプリント類はもちろん。書籍もある程度はメルカリで売ってしまった。

しかしその中でも、私がなんとなく捨てられず、持ってきてしまったものがある

それは小学生の時に作ったリースだ。

 

どこの県にもあるような、ゆったりのんびりをセールスポイントにする牧場の、これまたゆったりのんびり自然派森ガール達をターゲットにしたドライフラワーの店に入った私は、そこで手作りでリースが作れるという体験に参加した。今考えると、リースもドライフラワーもしっかりとした本格的な物だったから、それなりにお値段もしたんだと思う。あの時のお母さんありがとう。

 

初めて触るホットグルー(グルーガンではなかった。開発されていなかったのかな?)と、バラバラになりそうなドライフラワー、ねだってつけてもらった鳥の置物でなんとか作ったリースは、そのまま私の部屋のコルクボードの上に鎮座することとなり、約10年は飾られていたことになる。

10年も経つと流石に色褪せてきていて、鳥は外れてどこかに行ったし、花も元々は薄いピンクだったのが白茶けてしまっている。どう見てもこれはお役御免かな…と思っていた。

 

ところがこいつは現在、私の玄関に鎮座して主人の帰りを待っている。なんだかんだで捨てられないのだ。だってインテリアあると可愛いんだもん。

加えてこれにはもはや「思い出の品」的な価値が付与されてしまっている。こうなると捨てることはさらに困難になる。捨てた方がいいかな…でも10年も使っているもんな…あの頃私はこうだった………みたいな事が思い起こされるのだ。私だってこんな歳で思い出が出来るなんてびっくりだけど。

しかし思い出とはそうやって溜まっていくのだろう。昨日一昨日はただの過去だが、10年前、20年前は思い出になりうるのかもしれない。逆に、思い出として自分と切り離し、品物に預けておかないと、思い出に囚われる悲しい人と周りから見られるかもしれない。それだけは避けたい。

 

そんなわけでこのリースは引き続き私の玄関に鎮座しているのである