何某の日進月歩

心に移りゆく由無し事をそこはかとなく書きつくっています

環境の変わった人間に怖くないものなどない

お題「#この1年の変化

 

先日職場の先輩から「何某の将来設計はどうなって居るんだ」と聞かれたことがある。何か思い詰めているように見えたのか?と聞くと、別にそういうわけではなく、新人育成として聞いているのだそうだ。

はて、自分の将来か、とふと考えて、そういえば先輩はどう考えて居るのだろうかと思い聞いてみると、即答で「最短で給料を多くもらい速攻で退職する」と返ってきた。強い。曰く、「職業としては好きで、ずっと続けたい、でもマネージャーではなく現場仕事がいい、だからいいところで会社とはおさらばして個人事業主として極める」のだそうだ。

ははあ、なるほど。辞めるとか言ってもいいわけか。と理解したので、この際もうどうにでもなれ、と思い私は「他人の意思で使役したい」という兼ねてからの夢を語った。

 

そう、私は尽くされたい。

それも、お金とかの関係ではない。その人にとって必要だから尽くされ、飽きたら捨てることのできるような絶対的な服従関係や雇用関係に成り立つ上で生かされたい。言葉を選ばずにいうと「他人に靴を舐められて過ごしたい」と言ったところだ。

「今の仕事は人の靴を舐めて過ごすような感覚があるので、いつか人に靴を舐めさせたいですね」と言った記憶がある。先輩はとりあえず笑って「それは宝くじに当たったりするしかないなあ」と言ってくれたが、引いていないことを願うばかりである。

 

そういえばこうやって自分の将来の願望を恥ずかしがらずに言うようになったのは、一年前の自分との大きな違いになると思う。「公務員になりたい」「最新のパソコンを買いたい」と言った具体的なものではなく、「お金持ちになりたい」「企業したい」のような抽象的な夢を語ることが多くなった。これはいいことばかりではなく、具体策を考えることを放棄しているとも言える。考えることを放棄すると私の人間としての価値が大きく下がってしまうのでそれだけは避けなければならない。

 

とりあえず、この文章のオチをどうするのか。それぐらいは考えてブログを書く習慣を付けたいものである。